坂東です。
本日のお気に入りは、「現代語古事記 ポケット版 竹田 恒泰 (著)」です。
「古事記(こじき、ふることふみ、ふることぶみ)は、日本最古の歴史書である。その序によれば、和銅5年(712年)に太安万侶が編纂し、元明天皇に献上された。」
出典:ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98
古事記は、歴史書といっても、古い順に、「神の代の物語」、「神と天皇の代の物語」、「天皇の代(推古天皇まで)」が記されていて、神話的要素が強い書物だと思います。
中でも「神の代の物語」の部分の神話的要素が強く、私はこちらに特に強く興味を持っています。
古代神話は、ギリシャ神話もそうですが、多くの神々が、現代とは異なる価値観のもとで「神」っぽくない行動をする話が多いという話は、聞いたことのある方も多いと思います。
古事記もそういう話が多くあるということでしたので、いつか現代語訳を読もうと思っていました。。
ただ、私は不謹慎で、真面目に?古典を読む気がないので、失礼ですが、「軽く」読める古事記の現代語訳を探したわけです。
その点、竹田恒泰氏の本は、「現代語古事記」が以前話題になり、読みやすいということでしたので、「現代語古事記 ポケット版」を購入した次第です。
amazonの内容紹介(http://amzn.asia/hgS87tr)によると、「『信じられないほど読みやすい』『はじめて最後まで完読できた』と驚きの声が続々の10万部超え人気書籍『現代語古事記』が、ポケット版として遂に登場!丁寧な現代語訳と、旧皇族の著者ならではの独自の視点による解説も読みどころ。」です。
この本の私にとっての良いところは、まえがきで、「『古事記を楽しんで読むための最大の骨は、神様と人の名がでてきたらすぐに『忘れること』です。なぜなら『古事記』には夥しい数の神名と人名が現れますが、二度以上登場するのは一割未満しかないからです。」と書いてくださっていることです。
読んでみると、確かに、私には到底覚えられない神名(奥津島比売命、市寸島比売命、多岐都比売命などなど)が、ばんばん出てきます。
しかし、まえがきの一文のおかげで、「気楽」に古事記を楽しむことができました。
この本を読んでみての感想は、やはり、「神の代の物語」が面白いということです。
稲羽の素兎(いなばのしろうさぎ)や天の岩屋戸(あまのいわやと)、八俣大蛇(やまたのおろち)など、どこかで聞いたことのある神話が、著者のわかりやすい言葉で物語られています。
古代神話は、現代との価値観の相違からくるギャップに惹かれます。
私の印象に残っているお話を2つほど、要約してあげておきます。
1(p.41~42)
妻である伊耶那美神(いざなみのかみ)を亡くし悲しまれた伊耶那岐神(いざなぎのかみ)は、亡き妻・伊耶那美神を追って黄泉国(よみのくに)にお出かけになり、伊耶那美神を連れ戻そうとします。伊耶那美神は伊耶那岐神に対し、「黄泉の神々と相談してまいりますので、その間、決して私を見ないと約束してください」と言い残して御殿の戸を閉めました。しかし、我慢できなくなった伊耶那岐神が御殿の中にお入りになり、伊耶那美神の姿を見てしまいます。すると、「伊耶那岐神の目に飛び込んで来たのは、腐敗して蛆にまみれた、変わり果てた姿の伊耶那美神だったのです。」「伊耶那岐神はびっくりして逃げました。ところが、醜い姿を見られた伊耶那美神は、『私に恥をかかせたな!』と仰せになり」、黄泉の国の恐ろしい醜女(しこめ)に後を追わせたのです。
・・・黄泉の国にまで妻に会いに行ったというのに、何という展開でしょうか。
なお、伊耶那美神(いざなみのかみ)がお亡くなりになった経緯も衝撃的なのですが、それは本書で読んでいただければと。
2(p.64)
須佐之男命(すさのおのみこと)が「天照大神の田の畦を壊し、溝を埋め、しかも大嘗(新嘗祭。神に新穀を備える神事)を行う御殿に糞をまき散らして、高天原で大暴れしました。」。
・・・「糞をまき散らして」って。
これに限らず、古事記には、現代的な価値観からすると下品だったり、やり過ぎでしょう、というお話が、サラッと書いてあります。
こういった、現代的な視点から見ると「へ??」となってしまうようなお話は、神話的要素の強い「神の代の物語」に多いといえます。
私は、そういう神話的な部分に惹かれる質なので、「神の代の物語」の部分は、何度も繰り返し読みました。
私の読み方は、「古事記」の読み方としてはねじ曲がっているのかもしれませんが。
ともあれ、本書は、著者の説明がわかりやすく、すっと入ってきますし、著者による解説も、なるほどねぇ、という部分が多々あります。
おすすめの一冊です。
次回のホライズンのオススメ!は6月20日(水)更新予定です。